今思えばかなり偏った考え方ですが(笑)、今から8年前、仕事を辞める前までの私が思っていたことです。
当時は、スピリチャルを嫌っていたというより、自分の世界からは程遠く、触れ合う機会すらなかった。
昔、テレビをつけたら、たまたま何回か「オーラの泉」というスピリチャル番組があっていて、へーそんな世界もあるのね、と思うくらいで、そんな精神論を並べたってこの世界は生きていけない、と思っていました。
仕事をしている頃の私は、そんなことより、この社会の中で活躍するためにはどうしたらよいだろうと必死で、当時子どもが三人いて、若いころと比べると、労働時間や体力面で制約があり、もがいておりました。
2016年に熊本で起こった地震により、実家の母屋や田畑が崩れ、故郷を愛する父は心が壊れ(うつ病発症、急激に悪化)、地震から3カ月後に自死。実家の家族は荒れ、取り乱し、後を追いかねない状況。
私は関東から支援を続ける一方で、そのあたりから、私の人生の流れが変わり、会社を辞める流れに。
会社を辞め専業主婦となり、その6年ひたすら内観を続け、自分の中に在った様々な不要な想念、思い込み、設定を手放していくことに。
内観と出会ったのは、父が亡くなった半年後くらい。古巣の会社の知り合いが心理学で資格を取りセッションをしているとのことで、息子のことでもうこれ以上持ち切れないと思い受けてみることに。その時、ただ、自分の中に在ったひとつの思い込みを知っただけで心が軽くなり、衝撃を受けました。
似た類の思い込みだったら山ほどあるし、同じ手法でいくらでも軽やかになれるかも!
苦しみから抜け出せるかもと興奮して帰ったのを思い出します(笑)
内観と出会い、しばらくして会社を辞める流れに。
今思えば、強制終了。
子どもがいながらもどうやってキャリアを維持、向上していくかだけに必死だった私の頭が、内観していくと、それさえ自分のものではないことに気づき、また、家族の状況、自分の左手の痛みが重なり、仕事を続けられない状況に。
いま思えば、よくできていたなぁと。当時はそんなことを思う余裕などなく、将来に対してお先真っ暗(笑)に感じていました。
そんな中でも、内観は、自分の性質(はまると猪突猛進)とよくマッチしていて、虜になりました。
最初は苦しさを解決する手段でしたが、その内、ゲーム感覚になり、自分の事なのに、
一方で超俯瞰して状況を分析する自分がいたりして(笑)。
当然ですが、不要なものを手放し続けると、どんどん心が軽やかに、エネルギー状態もどんどんクリアになっていきました。
そうすると、望んでもないのに、チャネリングやリーディングなどが自然とできるように。
人の名前を観るだけで、その人のコアなエネルギーに繋がり、何に悩んでいるのか、どうやったらその状態から抜けていくのかが分かるように。また誰かが知らない人の話をしていても、その人がどんな人で、どんな意図でその言葉を発したのかなどその場に居たかのように分かるように。
他にも、自動書記のように、PCなどを打つと勝手に言葉が下りてくる?手が勝手に動き出すので打ち込むとチャネリングだったり、その人に必要なメッセージだったり。自分でPCを打っている間は何を書いているのか分からず、最後に読むと、壮大なメッセージだったりして自分で、こわっ(怖)とか言って遊んでいました。
と同時に、そうした能力が必要とされる環境が与えられ、やりながら、自分がなにができるのかを隅々知る、をやる。
ある程度、知ると、その環境はなくなり、日々の内観に戻る。
またある一定まで来て、何かしらの能力が出てくるとそれを知らされる環境が準備され、やりながら何ができるのかを知らされる、という
流れが数年続きました。
ただ、その間、私の興味の対象はずっと、「内観」で、自分の内側に
一つ手放すと、また今まで捉えられていなかった、だけど不要なものが顕在化して、それを捉えては手放すを繰り返す日々でした。
実際にやるほどに、こうした意識構造がどのようになっているのかを知ることができました。網の目のようになっていたり、芋ずる式でできるだけ深い層にアプローチする方法など試行錯誤しながらその領域の開発をしていたように思います。